5月29日(日)
ワークショップ 元気のぼり
6月4日(土)
地元の子供たちによる田植え
6月11日(土)
オープニング・セレモニー 和太鼓コンサート
オープニング・トーク
田んぼからのメッセージ
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、
新宮 晋(アーティスト)
ワークショップ 風車を作ろう
6月19日(日)
ワークショップ 七夕飾りを作ろう
7月9日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 1
7月23日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 2
9月4日(日)
ワークショップ アートかかしを作ろう
ワークショップ
オリジナルの焼き物を作ろう
9月25日(日)
子供たちによる稲刈り
「かかし」と「焼き物」の発表
風の妖精たちのパレード
野外ジャズコンサート

スケジュール・内容は変更する場合があります。
オープニング・トーク 田んぼからのメッセージ
2011年6月11日
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト)
新宮

それではトークを始めさせて頂きます。どうかよろしくお願い致します。
朝まで雨が降り続いて、ぎりぎりまで皆さんをはらはらさせたことと思いますが、こういうお天気になることは決まっておりまして、あんまり陽が照っても暑くて大変かと。如何ですか、これくらいで良かったでしょうか(笑い)。少し青空も出て来ましたし、こういう田んぼの中で、ゆっくりとくつろいでお時間を過ごして頂けたらと思います。

今日は私、お天気のことも含めて、皆さんに来て頂けたことも含めて、大変幸せな気持でおります。ここに2人のゲストをお招きしまして、中村 桂子さん、若一 光司さんです。
私は本当に友だちに恵まれていると思うのですが、中でもとりわけこのお2人に、このトークにジョイントして頂けて、もうこれ以上の幸せはない。それでこのイベントはもう成功であると、私は確信しております。お二方とも、とてつもない専門の知識をお持ちの方達ではありますが、分りやすくお話出来る方なので、ご意見その他、終ってから質問がありましたら、どうぞお気軽にお手をおあげ下さい。

まずですね、なんでこんな所でこんなことを始めたかという話ですが、私はこの奥でアトリエを構えておりまして、もう20年近くになります。いつもこのあぜ道を通り抜けながら、いいとこだなあ、いつ来ても季節ごとにいいなあと思うんですね。これをまあ単純に自慢したい、何かやったらみんな来て下さるかな、いい所でしょう、楽しんで下さいよというのがきっかけで、田んぼの中でちょっと作品を立てて展覧会をしたらいいかもなと思ったのです。
それこそ兵庫県立美術館の蓑館長も来ておられますが、あんな立派な美術館でなくても、展覧会は出来るんじゃないかと。こういう単純にしてまあ愚かなアイデアのために、実は多くの方を巻き添えにして、大変なことになりました。
私は、小さい時から田んぼで育ったと言えるくらい、近所に田んぼが沢山ありました。その中で色んなことを勉強することが出来ましたが、現代の子供たちにはそういう機会が少ないのではないかという危惧がありまして、この展覧会を企画したところもあります。そんなことで、このお二方に、田んぼにまつわる経験なり体験なりをお話して頂ければと思います。

撮影:新宮 夕海
左から 新宮 晋 中村 桂子 若一 光司
若一

若一 光司です。私は今、ちょうど60才で、新宮さんと同じ豊中市で生まれ育っているんですが、子供の頃は身近に田んぼがいっぱいありました。私にとって、田んぼとの出会いというのは、その後の人生に対して決定的な影響を持ったと思うんです。

物心ついた時から、田んぼ、特に今時分の水を張った、田植えの後の田んぼが大好きです。何故大好きかと言いますと、そこで色んな不思議な生き物と出会えるからです。
今でも多分この周辺の田んぼにもいると思うんですが、ホウネンエビやカブトエビをご存知ですか。ホウネンエビもカブトエビも、ともに甲殻類で、もう何億年も前から姿を変えずに生き続けている「生きた化石」のような、不思議な生き物ですが、実はそれが、この田んぼの中にいるんです。私は、これらの生き物が大好きなんです。しかもこの子らはですね、わずか一~二か月で死んでしまいます。死ぬ前に卵を産んで、その卵が、水田が干上がった後も土の中で生き続けて、次の春にまた田んぼに水を張ったら、たちまち孵化して泳ぎ始めるんです。
私はそれが不思議でならなくて、小学校時代はずっと毎年、田んぼでそういうものを捕るなどして遊んでいました。

大人になってからの私は、化石の採集を趣味とするようになり、特に古生代の化石、三葉虫なんかを探して、日本中の化石産地を旅しましたけれども、私のそういう「生き物に対する関心や興味」を最初に育ててくれたのが、田んぼ、とりわけ、この水田でした。今日はそういうことで、こういう機会を持つことができて、本当に私も幸せな気持でいます。

中村

中村でございます。よろしくお願いします。
いやー私、ちょっと小さくなってます。というのは、私、東京で生まれて、東京で育ってしまったものですから、本当に残念なことに、田んぼが近くにはない育ち方をしてしまいました。
ただそれ故に、田んぼへの憧れは強いんです。それに、確かに東京が故郷なのですけれど、今の東京が、実を言うと好きじゃないんです。もうビルばっかりなんですよ。しかもそれが50階なんてビル建てて、一体何考えてるんだろう、そんな所で子供を育ててどうするんだといつも思っているのですが。
私が子供の頃は、東京と言えども原っぱが沢山ありましたから、残念ながら田んぼの生き物じゃないんですが、バッタやチョウチョ、トンボ、そういうものとは付合ってきました。田んぼにちょっと憧れながら、都会でも一杯生き物は居たので、そういう生活をしていました。よろしくお願いします。

新宮

今日おいでの皆さんもそれぞれ田んぼとの付合いがおありかと思います。今の農業の現状というのは、全く自然の田んぼとは言いかねるようなところがあるかもしれませんが、それでも田んぼの素晴らしさ。田植えから稲刈りまで、その季節の変化の中には、今日はたまたま降りませんでしたが、雨の季節もありますし、今ここではホタルが大変きれいなんですが、ホタルが飛び交う季節もあります。
これからイベントとも関連して考えていますけれども、七夕の季節もあり、ここは夜が真っ暗ですから星を見るのには最適で、見事な星空を見ることも出来るでしょう。あまり作品には好ましくないんですけれども、台風の季節も来ることでしょう。
そんな中で、私がこの展覧会を企画したのは、ビニールハウスを建てて、その中に室内の作品を展示しようとか、昔あった案山子とか雀おどしとか、今見かけなくなりましたが、そんなイメージのものを立ててみようと。

田んぼがまるでお米を作る工場みたいに、機械的にきっちり生産出来るんじゃなくて、思い掛けない日照りがあったり色んなことがあって稲を育ててきた。その中で人間は、特に日本人は、田んぼを中心に文化を育ててきたと思うんですね。そんなことで、ちょっと雀おどしとか、何とかもどきを見て頂く場所として会場を設定しましたが、本当はこの田んぼの魅力を、今日だけじゃなくて、リピートして見に来て頂きたい。その間どんどん変わっていく田んぼの様を楽しんで頂ければ、本当に嬉しいですし、そんなことを考えています。

中村

「思い掛けないこと」とおっしゃいましたでしょう。自然はそうなんですね。
機械は思い通りにいかなければいけないので、今度の地震の時に想定外と言いましたけれど、自然に想定外はありませんよね。

今、太鼓を後の方で叩いて下さったので後を見たら、丁度その時にあれ動いたんですよ、新宮さんの作品。動いてましたよね、あの時。今止まってますでしょう。ちょっと出来過ぎだとは思うのですが、この思いがけなさが面白いですね。

新宮

作者と同じように、調子者なんです。

中村

でもね、こういう思い掛けない面白さは、建物の中だったら無かったことだろうなと思って。本当にすごいなーと思いました。

新宮

中村先生が「自然には想定は無い」とおっしゃいましたが、まさにその通りで、私は、想定外ばっかりをねらっておりますもんですから。

若一

ちょっと個人的な体験を離れて、水田の歴史みたいなことを振り返ってみますと、日本列島に暮らす人々がいろんな野生生物との関係を深めてゆく過程において、水田がはたした役割には,たいへん大きなものがあると思うんですね。
最近、とても面白い考古学上の発見がありました。大阪府の東大阪市と八尾市にまたがる池島・福万寺遺跡の、弥生時代の水田跡から、国の特別天然記念物になっているコウノトリの、国内最古の足跡が見つかったんです。その足跡は、だいたい2400年ほど前のものと推定されますが、その当時、東大阪市と八尾市のあの辺に田んぼが広がっていて、そこで農作業している人々のすぐ近くで、いまでは絶滅に瀕して天然記念物になってるコウノトリが、のんびりとエサをついばんだりしていたということですね。

考えてみれば、田に水を張るということは、人工的に湿地帯を作る、ということなんですね。湿地帯というのは、多くの野生生物にとって、本当に暮らしやすい、天国のようなもんです。そこにはいろんな微生物が繁殖しますし、魚や貝やエビやカニも生息しますし、それを狙って多様な鳥も飛来する。さらには、魚介類や鳥を狙って、いろんな動物もやってくる。そうしたことを考えると、日本列島で暮らす人々がさまざまな野生生物と密接に触れ合う、その大きな出会いの場であり続けたのが、水田だったと思うんですね。

中村

自然と言う時、何も手を入れないことを思いますよね。でも私たち日本人の大好きな自然って、田んぼのある風景なんですね。野生のちょっと怖い自然より好きなんです。
それは実は、手を入れてるんだけど、入れ過ぎない田んぼにしないといけないんですね。ここ50年ほど、手を入れすぎてしまい、コウノトリも居なくなっちゃった。多分これからは、そこを直さないと。

若一

いま中村先生がおっしゃったことに関連して、老子や荘子の言葉を思い出しました。
中国で最初に「自然」を哲学したのが老子と荘子ですが、老子は「人為の加わらない、本来のままの状態」を「無為自然」として、これを最上としました。ですが現在の日本では、「無為」の言葉を冠するにふさわしい自然など、ほとんど目にすることができなくなってしまった。

いま先生がおっしゃった、身近な田んぼとか、目の前に広がっている山里の自然なんかは、人間の行為や働きかけの結果として成立している「有為自然」なんですね。その区別は老子、荘子の時代から存在していたけど、「有為自然」に慣れきった感覚からすると、無為自然というのはやっぱり、どこかに怖さを秘めて見えますよね。

新宮

大変面白い話だと思いますが、この自然というものを、どのように捉えるかという中に、やはり西洋的な捉え方と、日本人の伝統的な捉え方みたいなものがあると思うんですよ。
個人的なことになりますが、私イタリアにおりまして、まあ絵画にあきたらなくてだんだん立体になってというような頃にですね、イタリアやヨーロッパのアーティストと自分とはどこが違うのかということを考えた時に、日本人は体力の競争だったら負けそうだし、大体あんな大きな大理石、彫る気にもならないと。しかし、もう少し私の中には、自然を感知する微妙な感覚だとか、違う接点があるのではないかと思いました。
そういうところから始まったのが、この田んぼにも似合う、案山子のような彫刻な訳で、それも日本人の自然感に根ざしているのかなと思っていました。

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