2011年6月11日 | |
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト) | |
内輪の応援団の友だちがそう言って下さるのは、何かフェアーじゃないような気もしますが、有難うございます。如何でしょうか、この辺で、今までの我々の話を聞いてご意見のある方がおられましたら、このトークに参加するつもりでひと言、言って頂けないでしょうか。 |
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お3方の、さすがに有識者という素晴らしいお話を聞きまして、もう感動致しました。 |
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私が何か思い付いてやるということは、いつも、これをやり遂げなかったら、何が今までの人生だというようなことを考えていまして。 誰も言い出さない、やり出さないということに対する不安というか、私は、私なりに地球人として生きてきて感じたことの中で、これだけはどうしてもやらないと私の人生は完結しないという気持でやっております。これがもし上手く行ったとしても、多分また次考えると思います。 人間は、したいことがあるうちは死なないって言いますから、何百才か知らないけど、とにかくやり続けたいと思っております。 |
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ちょっと蛇足を申し上げたら、今新宮さん、したいことがあるという言い方をされていましたけれど、大体若いうちは、したいことをしようと思うんですが、だんだん歳をとってきて、自分の能力的な限界とか社会的限界が見えてきたら、「したいこと」じゃなくて、「出来ること」をしようと思うんですね。 |
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したいことしなかったら、楽しくないですよね。ねえ(笑い)。 |
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したいことのレベルを、あえてね、意図的に下げてしまっているんですね(笑い)。 |
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他に何か。 |
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ものすごく楽しい、エキサイティングなお話をお聞きしました。やはりエネルギー問題というのが、一番大きなこれからの課題だと思うのです。 化石燃料の話が先ほど出ましたが、化石燃料を使って、つまり地球の歴史を収奪しながら、我々が20世紀21世紀の生活をしてきたことに、無理、或は無茶があったのだろうと思います。 |
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アーティストとして微力ながら、今この(Tシャツの)胸にあります風車の多い村作りというのを計画していまして、兵庫県立美術館のホワイエに、村のジオラマ模型を展示しております。 それもかなり勇気のいることで、この段階でこんなことを形にして見せていいのかな、と思いながら発表したものです。ジオラマを作っていて楽しいのは、ここをこうしようと考え、人を立てながら、この人はどんな人だろうと想像するところです。舞台では、ここではこんなパフォーマンスがしたいな、というのをジオラマで作りました。 それとちょっとご説明を付け加えたいと思うのですが、ここに元気のぼりというものを掲げています。これは、我々が白い布でのぼりの形を作って用意して、皆さんに元気を描いて頂いたものです。 今被災地で展示しようという話も出ておりますが、被災地でまた被災地の子供たちが、白いのぼりに被災地からの元気も加えて下さったらと思っています。巡回しようという話もありまして、被災地の岩手とか福島の美術館も協力して展示しようという動きで今進んでおりますが、現地の方の受け入れ態勢が整っていないということもあってなかなかスタート出来ない。その間三田の風を出来るだけ預蓄して頂いて、余計元気をもって現地に行ってくれたらいいかなと思っています。 ずっと考えていると、これは風の彫刻の極致なんですね。布をたたんだら小さなものが、風をはらんだらパッと立体になる。そうすると、私が作っているベアリングを沢山使ったややこしい彫刻は何だったんだろうというぐらい、究極の風の彫刻だと思います。 そういういい加減そうな話ですが、それこそアートだったら可能性があるかなあと。国境を越えて。風は大体国境を越えているんですから。そういうことを考えています。どなたかご質問がありますか。 |
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私は新宮さんとは、高等学校1年生の時同じクラスで、お付合いはありませんでしたが。今回田んぼのアトリエで、今日の開会式から数回にわたって季節ごとに活動を広げていかれるそうですね。私もそれには出来るだけ、少しでも参加したいと思っています。 ところで、新宮さん、中村さん、それから若一さん、お3方はそれぞれに自然エネルギーを非常に重視されているということですが、私はそれで本当にいいのかどうか、今後我々がどういう風に過ごしていかないといけないかを考えた時に、現在のこれだけきっちりしたエネルギーの供給社会の中で、これを解除して別のオプションというものにいきなり行くことは多分出来ないと思うのです。 |
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原子力の専門家であられるみたいですから、素朴に質問させて頂きますけれども。 |
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そうですか。まあそうかもしれませんね。 |
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はっきり言えば、原発で作っている電気に関しては、需要がないとも言える。 |
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まあそれには私は、反論することは出来ないと思います。おっしゃる通りだと思います。ただ原発にしてもそれから火力発電にしても、安定的にきちっと世の中を支えていく部分というものが必要じゃないかと思います。 |
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ね、そういう議論をされる訳ですよ、原発支持派の方は。安定的に世の中を支えるためには原子力発電が必要だと。安定的に、世の中の誰の何を支えるんですか。 ちょっと極端な例かもしれませんが、私の知り合いがネパールの奥地でね、ヒマラヤのふもとで電気の無い村で暮らしている各家庭に、小ちゃな水力発電器を配る活動を続けています。フランス人のNGOでね。 だから、集中的な大規模発電を前提に物事を考え過ぎてきた私たちは、これからはその発想を変えるべきだと思うんです。 |
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それはまあ、いわゆる自然発電をもっと注目していかないといけない。それと同時に、今の日本の社会が、4ワットとかそういう細かい発電量で支えられる訳じゃなくて。 |
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それもね、決め込んだら駄目なんです。そういう状況になれば技術革新が進みますから。 |
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でもそういうことがすぐにですね、我々幸せにいくという方向には行かないと思うんです。 |
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もちろん、すぐには自然エネルギーに100パーセントの移行は出来ないから、過程的な方法論としては、1つはですね、液化天然ガスです。 |
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いずれにしても、今の大規模発電というものの価値、存在意義というものも一応考えていって、だんだんと自然発電が主役になるかどうか、まだ誰も分かっていない。それが主役になり得るかどうか、これから検討する訳ですから。 |
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エネルギーや技術だけで考えるのではなく、社会を考えなければいけませんね。 これまでの50年は、集中型で来たと思うんです。だから社会をもうちょっと、地域型に変えるということと一緒に、エネルギーのことも考えていくと、少ーしづつ変わっていくんじゃないかなあと思います。 |
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どうも有難うございました。 実は我々の現状の生活を、皆さんが、これが理想で幸せだと思っておられるかどうかというのが、かなり大事なポイントではないかと思うんですね。 色々議論はあるかと思いますが、有難うございました。こんな意見を聞かせて頂けたことが、非常に良かったと思います。あ、まだご質問がありますか。 |
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私はアートの力を信じている者でありまして、今日こうやって自然とアートの力で私も元気を頂きました。有難うございました。 私は、三田市の近くの町で生まれて育ちました。ちょうどこのような景色の中で育って、小学生の頃、あぜ道に座っていて、あの山の向こうって何があるんやろか、ぼーっとそんな事を考えるような子供でした。 今日ここへ来て、どこでも、どこででも、世界や世の中に向けて発信出来るんだというような、元気を頂きました。どうも有難うございました。それだけちょっと、言いたかったんです(大きな拍手)。 |
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それではこの辺で、果てしない話ですが。この3人で地球が救えるとも思っていませんけれども、今日のことで、皆さんのお心の中で何か考えるきっかけにして頂ければ、我々は嬉しく思います。 |