2011年6月11日 | |
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト) | |
今回、東日本の被災を通して、強く感じたことがあります。 ただ、少し視点を変え、人間の立場を離れてみると、こうした大地震のような自然現象というのは、地球の平衡ということで言えば、ごくごく当たり前のことでしょうね。地球が地球であり続ける中には、こういう出来事も当たり前のこととして含まれている。地球の長い歴史の中では、それ以上に大きな出来事も、いくつも発生しているわけですね。 つまり、我々人間は、激烈なアクシデントの結果として、ここに存在しているわけです。非常にマクロな目で見たら、今回の地震によるアクシデントも、何か別のプラスの側面を持っている可能性も充分あるわけですね。自然というのは、そういうものなのだと。 新宮さんの作品の多くは風で動いてますけど、たとえ暴風雨になっても、あるいは台風が来ても、作品の動きはあまり変わらない。これは新宮さんが開発された特別のベアリングなんかによる、とても高度な仕組みです。普通の風車だったら、巨大な台風なんかが来たら潰れてしまいますよね。ですが新宮さんの作品は、そうした環境変化を不思議に制御して、破たんしたり壊れたりすることなく、常に淡々と動いている。 |
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もう机の下に隠れたいなと思いましたが、隠れる場所もないし(笑い)。 今日は僕ちょっと頼み過ぎまして、太陽まで出て来たので、皆さん暑くて今度は困っておられるかもしれません。初めから、屋外でイベントをすることには、自然のあらゆる可能性がありました。 最後にですね、今度の震災を通して、我々は何を学ばなければならないか、そして明日生きていくには、どういう形、或はどういうのが理想なのでしょうか。僕の大課題でもあるんですけれども、ひと言で言って頂けませんか。 |
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私自身の個人的実感で言えば、ともかく人の世話にならなくても、自己完結的に生きられる部分を出来るだけ増やしたいなあと。増やすべきだろうと。 それから、社会的な価値観の面でいえば、人間の社会においてはやっぱり、多様性の尊重ということがより大切だと思います。これは、思想や価値観や宗教などの多様性もありますし、それぞれ個人の資質や生理の多様性も含めてのことです。 |
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ここ数十年の日本の社会は、あまりにも人間が自然と離れすぎました。 今関西と東京では実感がちょっと違っていて、東京の方が厳しいんですね。実際電気が来なかったりする。そこで節電するのですが、皆これを我慢と考えています。ところが節電をし始めたために、何が具体的に起こっているかというと、例えば電車の窓が開き始めました。 一般論としては、節電は我慢となります。そうではなく、自分が生き物だという気持にさえなれば、楽しめるんです。だから、新しい生き方を楽しもう、生き物としての生き方を楽しもうという風になるといいなあと思っています。 |
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それは、昔の方が良かったなという話のような気もします。 この現代の生活の中で、昔が良かったなと感じられる人はまだ救いがある。でも、この生活が当たり前だと思っている人にとっては、全てが我慢の種になる。これが問題じゃないかと思うんです。 でもアーティストというのは、まあおっちょこちょいなんですね。賢い人なら、口にはするけれども実現させようなんて馬鹿なことは考えないのを、やってしまうのがアーティスト。 アーティストっていうのは、変わったものを作る商売人じゃないんです。精神的にアーティストなんです。それはだから、職業的にアーティストでない人にもアーティストの部分があるというのは、そういうことなんです。 |
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そういう意味で、ブリージング・アースはすごいですよね。 |